青臭い目標設定をしよう

数年単位でたてるような目標は、抽象的で、非現実的な方が良い。

よく、今の自分の現実より少し上の目標を建てろとか、あるいは目標を細かくブレイクダウンして、小さいことを積み上げろとか言うけど、それは限定的な状況でのみ有効であると思った方がいい。

少し前に流行った[dic:GTD]という仕事管理手法の体系がある。要するに気になる物事を全部書き出すことで、心のもやもや感を解消しつつ、具体的な行動として分割して処理していくというのがその大体の流れ。実際自分も2年近くこの方法は使っていて、やってみる価値はあるとも感じている。

しかしながら、これと同じようなノリで、数年単位の目標をたててしまうと、後に間違いなく罠にはまる。

なぜか。

まず、仮に正社員になって安定した家庭を築くという目標をたてたとしよう。数年後、それが叶ってしまったらどうか。実はそこには虚無感が待ちかまえているだけだったりする。これは慣れや飽きというレベルの話ではなく、自分の成長機会を失うことを意味し、人生の密度を下げる。また、目標をかなえられそうもない状況になったらどうか。実際、この程度の目標をかなえる人間など腐るほど居るわけだし、それに引き替え自分は…という思考に陥る。つまり、頑張れば叶いそうなレベルの目標は、結果的に自分の人生にとってマイナスにしか働かない。

長期的目標は、抽象的で、達成がほぼ不可能で、空虚な理想論であるほどよい。

たとえば、差別をなくすとか、貧困をなくすとか、そういうぱっと見引いてしまうようなものを、恥ずかし気もなく本気で望むのが良い。もしそれが嫌なら、総理大臣になって権力を握るとか、ロックフェラー家を超える金持ちになるとか、そいういう下世話なものでもかまわない。こうした目標であれば、それを達成しない限り、自らの駆動する力が潰えることはない。

つまるところ、目標とは、その設定した事象そのものを実現するために設定するケースと、自分自身に継続的変革を与えるために設定するケースがあるということだ。

もし学生であったら、目の前の受験のために具体的目標をブレイクダウンしていき着実にこなしていくことは必要だろう。しかし、受験合格やそれを足場とした職業以上の、謂わば青臭い目標のようなものは頑なに固持するよう心がけた方がよい。それがあれば、何が起きようとこの世の中をサバイブしていけるからだ。

夢を大切に、とか、大志を抱け、とか、大抵は現状維持に必死なおっさんが昔を懐かしんでいるだけなので萎えてしまうのはわかるが、だからといって、その格言に価値がないわけでは決して無いのだ。

あと、誤解を招かぬよう付け加えておくと、理想論を他人に押しつけることだけはやめよう。それは自分を奮い立たせるためのものであって、自分を正当化するためのものではないのだから。