公共事業は必要か

公共事業の善し悪しについて、わかる範囲で整理しておくことにする。

自分が思うに、(1)マクロ経済、(2)インフラ、(3)象徴、の側面で整理する必要があると思う。

まず(1)マクロ経済面での評価について考えておこう。

ニューディール政策・・・成功したことになってる。公共事業が景気対策になるという神話を裏付けている。実際は違うのではないかとも言われているが、イメージとしては成功側。

近年の日本の公共事業・・・失敗とそれに伴う縮小。これが今の不況の対策として公共事業だ!と叫ぶ人が少ない理由。

この2つの差異はどこにあるのか。ニューケインジアンに言わせると、為替が変動相場制になったのが効果の差を生んだのだという。細かい理屈は高橋洋一氏の本でも読めばいいと思うが、要するに公共投資すると、投資された業界は潤うが、国単位で見ると海外に金が流れるだけになるということは頭に入れておこう。不況に仰いでいる先進国が、なぜ公共投資をしない様を見れても、その理論を正しいと考えていることはわかる。

つぎに(2)インフラについて。

要するに公共投資は海外に金をばらまく間抜けな行為だ。しかだからといって公共投資は全部悪だ、やめちまえ、というわけにはいかない。

インフラへの投資は必須である。ネットのインフラ事業者をフォローする必要性はもっと叫ばれて良いと思う。また道路もインフラであるので基本的には賛成である。しかし、道路は重要!とだけ唱えて、実際に行う事業はインフラの意味ではなく、どうでもいい景観重視だったりする。役所の景観の感覚に問題があるのがそもそもの問題だと思うが、いずれにしても優先順位としては後回しでよいはずだ。

あとは(3)象徴だ。

公共投資のもつ、象徴への投資という意味合いも重要である。こうした厳しい状況において、人が生きぬくためには、人の意識を動かす、なんらかの象徴が必要になる。かつての大戦はそうであっただろうし、オリンピックの特需などもそうだ。銅像や胸像などもこのたぐい。人々が何に対して希望を抱くか、守りの姿勢を軟化させ、外に働きかけようとするか、そこの見極めが重要になる。

個人としての感覚では、EXPO85で乗ったリニアモーターカーが未だに走っていないのが不思議なので、そういうのに投資してほしいと感じるが、まあその辺は人によるだろうけど。

とにかく間違いないのは、公共投資は、選択的、限定的に行う必要があるということ。やり過ぎると、単なる垂れ流しになってしまう。これはアメリカも同様で、オバマの経済対策も同じ方向性だと思う。