今更興味がある人は少ないと思うけど、新年会でひさびさに昔の話題になって、その際いろいろ思い出したので書く。情報源は自分とその周辺なのだけど、具体的にはXROGERの流れと、比較的交流のあったSHARPNELの流れ、あとは当時からナードコア周辺に出入りしていたコアなファンたちからの情報などが元なので、細かい事実関係は間違ってるかもしれない。ただまあ、渦中にいた者としての一感覚として受け止めてもらえば幸い。
で、まあ、このニコニコ大百科の記述で辞書的にはあってるとは思うのだけど、もう少々補足すべきことはありそうだとも感じる。
私が考えるところ、現在大百科の定義にあるような「ナード(A&G、いわゆるアニメ、ゲーム的なもの)+ハードコア」というとらえ方は、どちらかというと結果的にそれらが印象に残り、引き継がれていったというだけで、そのスタート時の本質は別のところにあったように思う。
その辺を少し補足することで、その意味が少しクリアになるかもしれない、特に若い人にとっては。
肥大化した内輪(ないしは個人)ウケ=ナードコア
結論から言ってしまえば、ニコニコ的なムーブメントの発生形態は、ナードコア音楽の発生形態とほぼ同じ構造をしている。要するに、個人的自慰行為なり内輪ウケがスタートラインで、その内輪っぽさが拡大していく楽しさというのがその大元にあるわけだ。
ナードコアは当時、オタク的なマインドを楽曲にして発信していくと説明されていた気がする。オタク的とは、アニメ、ゲーム、特撮などのみを指すわけではなく、お笑いや、CM、懐メロ、地方のキャラクタなども含まれていた。言ってしまえば、マジョリティを獲得していない個人的視点で偏りのある愛情表現を行っていることと言い換えられる。
現在、ニコニコなどにMADと呼ばれる動画群が山のようにあるが、それらは昔からその界隈で、MADビデオというかたちで流通してきたものからきているのはよく言及される。また、それと同時に、MADテープという音声のみのコラージュ作品が存在していた。ナードコアはテープからいち早くCD-Rに移行した人たちという見方もできるかもしれない。
しかしそれだけでは全く説明し切れない、単なる音質向上以上の変化があったことは間違いない。
ナードコアを支えた状況
しかし上記の肥大化した内輪ウケという特徴だけでは、まだピンとこないだろう。いまでもそうした表現を行う人はいる、というかむしろニコニコなんかでは誰もがやっているし、これだけでは今と何が違うのかよく見えてこないと思う。
おそらく、ナードコアを支えた状況として重要なのは、音楽制作と頒布に関するモノの、コモディティ化の過渡期であったこと、これにつきる。
まず、流通においてCD-Rが用いられるようになった点はかなり大きい。
当時はCD-Rの2倍速ドライブが16万程度などとまだ高価で、メディアも1000円前後だったと記憶している。しかしこれに魅力を感じた者たちが、積極的にこれを用い、ほぼ同時期にいくつかのグループが、コミックマーケットやM3などで頒布を開始していた。
音楽機材はまだDAW夜明け前であったため、MODまたはハードウェアサンプラーが活躍していた時代であった。しかし、実機のTR-909やTB-303などにしてもプレミアがまだ低めだったため、大学生くらいであればなんとか入手可能であった。
また、ネット環境についても考えておくことが必要だろう。
当時、草の根BBSというかたちで、内輪的なあつまりはあったものの、インターネットについては、一部の理系大学の研究室などで線が引かれた程度の状況で、そうそう簡単にはインターネットに接続できなかった時代だ。プロバイダも実質2択とかの状況。
実際、発足当時のファン層を振り返ってみると、大学生や、研究者だったり、専門学校のネット管理者だったり、いろいろインフラ的に恵まれた状況にいる者たちだった気もする。また、UNIXユーザ率も必然的に高かったのも特徴的であった。 ((内輪で申し訳ないが、XROGERというレーベル名も、HP-UXなどに付属していたスクリーンセーバの名称からオーナーがつけたそうだ)) 制作者側になると、それに加えてx68も含まれてくるが。
また、コミュニティのスタートは草の根BBSではあったものの、その肥大化の舞台は主にMLや、ネットニュース(という公開MLっぽいもの)が中心であった。素人の内輪ウケから、本家作者からメールがくるような雰囲気は今では考えにくいが、当時は世界がまだ狭く、技術者としての信用ベースがあったせいもあってか、連絡を取り合ったりもできる雰囲気があったようだ。
だいたい当時のネットのイメージとしては、Webといったら当時は研究者が家族旅行の写真を貼っただけのページや、せいぜい大学の簡素なトップページがあるようなしょぼい状況であり、草の根BBSからの出張所という位置づけて掲示板が運用されていたりとか、毎日更新する日記ページなどは片手で数えられる程度しか発見できなかった時代であり、みんな牧歌的で、ただただそういった邂逅や拡大が楽しかった時代だった。
ある意味、時代の特異点としての現象だったともいえるのかもしれない。 その異常さは、このへんのランキング記録から垣間見られる ((Techno-Heads MLとは、おそらく当時唯一のTechno好きのためのネット上における情報源。))。AphexTwin抜いてるる畏れ多さ。
以上は発足直後の状況。そしてまもなくネットの接続性は向上し、Nifty系の人たちにまで話題は広がり、雑誌に取り上げられ、エロ本にメイドブームを予見するコラムをオーナーが執筆したりしていた。
自らが萌え死ぬ様を高みから嘲笑う
ここらで少し、狭義での定義、特に萌えについて補足しておきたい。
草の根BBS内部による内輪ウケは、インターネットという黒船によって、より多くの反応を呼ぶこととなった。しかし、当然ながら単に人気のあるオタク的作品というだけなら、それまでにも存在していた。
ではそれらの作品群と何が違っていたのか。
それは、彼らが、オタク自身による感情の暴発という形で、自虐的表現を試みた点であろう。
通常、こうした同好者の集まりでは、作品に対する賛同そのものを良しとするものが人気を博するのが中心となっていた。つまり、本家作品をアレンジなどの形でなぞらえるようなMIDI作品があふれかえっていた時代である。
こうしたナードコア的な「萌え」の反復と、歪んだキックによる破壊衝動といった表現は当時は存在しなかったものだった。
さらに多少補足すると、これら以外の内輪ウケの形態をした楽曲も、特に初期は多少存在していたし、テクノですらないアコースティックグループも中には存在していたことも忘れてはならない。ただ、相対的に訴えるものがあまりに少なかったということだろう ((ハードコア作らない人もいたね。俺とか。))。
ボンクラ共のクラブ進出
ナードコアの多くは、ハードコアとの融合を経て、クラブにてダンスツールとして機能するクオリティを持っていた点も特徴的だ。当時オタクがクラブというのはなかなか考えにくく ((ただ、コスプレダンパはあったような気がするが、コミットしてないのでよくわからない。なんかアリモノの曲でパラパラしてるイメージしかない。))、初期の頃は、今はなき秋葉原駅前のバスケットコートの脇とかにラジカセを持ち込んで騒いでみたり、千葉県の突堤で機材を一晩でだめにしたり、LoftPlusOneをクラブ状態にしてみたり。その後はナードコア全体としてはクラブ進出が本格化するんだけど、個人的には公園を借りたりするのが中心であった。
あと、ナードコアブームよりもはるか前に、佐藤大らがTGNGというイベントを行っていたのもあるが、ボンクラ指向ではなかったのと、その流れがアングラから商業路線にシフトしていったため外して考えたほうがいいだろう。 ((ちなみにこれは攻殻とかRezとかに続いていく路線のこと。この路線分岐はミニコミ誌Delicの終了号の物別れっぷりが象徴的だったと記憶している。))
ただ、ナードコアは、いわゆる商業路線にシフトした方面の曰く「ベッドルームから世界へ」というのを完全に実践してしまっていた。そもそも格好良かったはずの安価な機材とネットによる音楽の未来を、早くからそのあたりに貪欲だったボンクラたちが奪ってしまった形になったわけだ 。現在のナードコアに対する蔑称としての機能は、このあたりも由来の一部ではないかと思われる 。
ナードコアの衰退と社会への同化
このように、外側からみると、彼らのオタク的な感情に対するメタ視点やインターネット環境の先進的利用、CD-R機器や音楽機材への投資などは評価してもよいはずなのだが、それらの同時発生したグループそのものは、結局内輪からスタートしたものに過ぎなかった。
そのため、当時の2chの様子を見る限り、いわゆる内輪と内輪のたたき合いで界隈が疲弊していったように見受けられる。テクノ板なのになんかここだけ同人板みたいだな、的な。ただまあ、モノ作る側と言うよりも、イベント運営にまつわる派閥問題だったような気もするなぁ。
あとはまあ、本来、こうしたムーブメントをペンで牽引していくべき者が、その時期やんごとなき事情で半ば不在であったことも不幸な点であったかもしれない 。 ((最近またユリイカかなんかで触れてると聞いた。見てないけど。))
そんな歴史のうえに立っているから、当時の当事者は誰もがこの単語がめんどくさいことを巻き起こすものだと、慎重な姿勢をとる雰囲気があり(?)、そんなんだから語る人が出てこないのだと思うので、不正確ながらもこうして書いているわけだが。
また、いまでこそCGMなどが言われるようになりつつあるわけだが、ナードコアブーム当時も似たような考え方はあった。しかしながら、いくつかのネタ元の本家レコード会社とは、担当者レベルでの交流は行われていたらしいが、大人の事情でやっぱり前に進まなかったという噂もちらほら。
ただし、人材的には、高度な技能を身につけた者が、業界に入り込んで何らかの仕事をするようになったりと、当事者レベルでの変化も起き、今に至ってはいる。なんだかんだ言って、今の多くのアニメやゲームファンは、彼らの耳や手のかかった仕事を、無意識に享受している可能性が高い。
要するに、衰退と同時に、クラブミュージックとA&G的なもののジャンルとしての融合、またより一般的な音作りについては、人材の異動も含め、より一般化していったと考えてよいだろう。ある意味、特筆すべきほどのモノではなくなっているということだ。
まあだいたいこんな感じで、当事者レベルとしては、ナードコアという単語は慎重に用いるべき単語としてスタートし 、機材や伝達手段のコモディティ化と同時にとっくに過去のものとなっているわけだ。
で、おそらくJ-Coreという単語は、時代に合わせたナードコアの再ラベリングの性質もあって、特に内輪感やネガティブファクターの払拭と、一部世代交代の意味合いを強める効果として機能しているんじゃないだろうか。自分は長らく距離を置いてきているので語れるほどのことは知らないけど、SHARPNELが冬の時代もめげずにがんばってたことくらいはわかる。
ついでに宣伝しておくか
えーと、はんだやレイブというのを仙台でやっています。次回は5月のGW中だと思われる。上記の通り、シーンはどうあれ、ナードコアはただの時代の特異点だし、J-Core的な曲もすでにやり尽くし感があるし、わざわざそういうのを冠する必要はあまりないと考えているので、そのへん全くこだわってません。あくまで結果論としてそうなる人もいますが、そうならない人の方が多めです。卑怯レベルの自作楽器とか、機材マニア的な人とか、そういう強烈なのがでてくるあたり、やってる側は初期ナードコアと通ずる部分はあるかもしれない。
あと、今時のボンクラ共は、秋葉など滅多にいきません。通販で十分です。リアルというか、肉体的には、安くて腹一杯になるめしやが憩いの場の象徴だと思います。みんな少しは精神と肉体が同じものであることを意識した方がいい気がするよ。ネタでつながるのもいいけど、肉体に同じ食料と同じビートを叩き込んでいく原始的一体感ってあると思うので。
まあ、一見さん歓迎なので、旅行がてら遊びに来るといいと思います。
内輪のようで普遍的、突き放すようでいながらも優しく包み込む、そんな雰囲気です。絶句すら包摂する世界ですので、表現者の方も腕試しや実験にどうぞ。今のところ動画配信はしない方針でいます。
あと、当方は斡旋業は一切してませんのであしからず。だからこそ、よい雰囲気の空間になってるんだろうと思うけどね。
あとはまあ、仕事抜きで楽しめる、いつでも帰ってこれる場所があるのは重要。だからこれからも維持していこうと思うわけだ。
「ナードコア周辺言説についてひとこと言っておくか」への4件の返信
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[…] ■ysanolog » ナードコア周辺言説についてひとこと言っておくか 久々に見たが,ysanoさんの視点からと周り(の一人である自分)から見た視点は,なんとなく世界が違っているのだなぁと思いました。おもしろい。 tweetmeme_url = 'http://snowland.net/wp/2013/02/08/memo-237/';tweetmeme_source = 'nacky';tweetmeme_style = 'compact'; カテゴリー: memo 作成者: nacky パーマリンク […]
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